ソーシャルメディアの自分史生成に思うこと

 私パソコンのメールボックスに今朝も「memolane(メモレーン)」からメールが届きます。この自分史生成サービスはフェイスブックやツイッターなどに投稿した自分の近況や写真などを時系列で整理・保管してくれているが、毎日届くメールではちょうど1年前とか2年前の今日の投稿をリマインドして送ってくれます。

たとえば昨日配信されてきたメールをみると、私は2010年5月20日には健康診断でPSAの結果が異常なかったと投稿していたし、其の翌日21日には、写真家の篠山紀信さんが略式起訴になったというニュースのリツイートに反応してコメントしていました。

 

 日常的に複数のソーシャルメディアに向かって、その時々に感じた事をツイートや写真で世間に吐き出している今日この頃では、「俺、1年前は何をやっていたんだろう? 何を考えていたんだろう?」という、何気ない疑問の答えを簡単に引き出す事ができるようになりました。昔の日記を読み返すという行為は精神的に重いですが、ソーシャルメディアに吐き出した日々の素朴な驚きや感想をエビデンスのリンクやビジュアル付きで思い起こすのは結構楽しいものです。

それがメモレーンのような楽しげなUIで表示されると、ちょっとした自分史となり、一層愛おしくなります。とくに私のように日常のあらゆる物に関してコレクション欲が強いタイプの人間には、自分の過去をビジュアル付きで昆虫標本のように一覧できることで、少しばかり悦に入る事ができるわけです。

何よりも、せっかくのツイートや写真投稿がしっかり時系列で残っていくので、吐き捨てや撮りっぱなしにならないところが嬉しいですね。

 

 最近著名人が亡くなると話題になるが、その人が生前に投稿していたブログやツイッターが、本人が死んだ後もずっと残っていて、ファンのメッセージがまるで生前のように普通に投稿されているという事をよく聞きます。これは何も著名人やアイドルだけの話ではなく、友人同士だって家族だって同じ事。自分が親しかった故人の公開された自分史をずっと共有することができるようになったのです。ソーシャルメディアに日々投稿する日常というのは、大抵の人は、自分のありのままの素直な気持ちや、誰かに何か役に立ちそうな事を知らせたいという善意の気持ちが強いだろうから、普段着の故人を振り返るには最適な記録に違いない。懸命に演出した自分史(伝記本)や渾身の遺言よりずっといいと思います。

 

 この先、10年後、30年後にこのようなサービスはどのような進化を遂げていくのでしょう。テクノロジーにおいては、いま想像してもとても追いつかないような世界になっているのでしょうが、その時なったら、たっぷり30年分溜まった私の自分史をじっくりと眺めて見たいという気持ちが、私は今、猛烈に湧いてきています。

ただ自分の最後の瞬間にこれらのソーシャルメディアに蓋をして一生を終わるのか、それとも自分の足跡を残して終わるのか? それは今後私を含め、ソーシャルメディアを利用する一人一人がじっくり考える問題ですね。そして望むべくは、公開の停止を考える間もなく、突然に‥‥というのは、なんとか避けたいものです。